オランダの風はライトブルー




<オランダ"JOLLEN CLUB" A級ディンギーレース参戦記>


島井新一郎
1997.6月記





  1:はじめてのオランダ

 平成9年5月15日(オランダ時間)15時、太陽と競争のそして時間を後戻りしての
12時間の飛を経てKLM(オランダ航空)ジャンボ機はアムステルダム西方のスキポ
ール空港に無事着陸した。
 私の還暦を記念して思いたった、オランダのA級ディンギーレース参加を兼ねた夫
婦旅行の始まりである。
預けた旅行バッグを引きずって荷物検査所を過ぎると、ガラス越しにレイメリング
(Reimering)会長が人懐っこい笑顔で手を振っていたが、この人が会長だというこ
とは直ぐにわかった。
背の高い(1.96m)髪の薄い大男を探してくださいとの本人からのFAXを事前に見
ていたからである。



そのFAXでかなり細かな気配りで我々を迎えてくれる手筈ができていることは予想
していたが、さっそく60年配の愛想のよいご婦人から、われわれ一人一人の名前と
Welcome !と書いた絵はがきと、バラの花一本づつを貰ってこのことを実感した。
  この品のよい銀髪のご婦人が、その後レースを含めいろいろとお世話になったシュル
ク(Schalk)造船所の奥さんだった。



 ところで、私がこのオランダ旅行を思い立つに至った経緯は、確かおととしのA級
レース琵琶湖大会の頃と思うが、安松さんから世界ではオランダとイタリヤではまだ
A級ディンギーの正式レースが行なわれており、そのオランダから新艇を買った慶応
等が中心になってオランダ遠征しようという話があるが、行かないかという事であっ
た。
 
しかし、話があいまいで日本から出掛けていっても、果たして参加させてくれるかど
うも分からないというようなことであった。実をいうと当時私はハウステンボスに
友達がいたのでこういう話があるが詳しく調べて欲しいと、いらいした経緯があり結                    
果は本気ならば大使館なりを通して話せば可能というような返事を貰っていた。
こういう経緯もあって今年二月に田村さんから正式の参加募集の手紙が来たとき、
さっそく応募した次第。

というのが、私が今年で還暦を迎えることもあり、かねてから家内に還暦旅行をかね
てオランダヨットレースに参加するぞと約束し、ヨットのことなどまったく分からな
い家内はオランダへ行けるならと大賛成で、案内をもらうと同時に、まごまごしてい
ると定員オーバーで行けないかもしれないという不安からさっそく応募という次第
だった。
ところが、その後話を聞くと安松さんは行けないとのこと、また、東京方面でも果た
してレースに出れるかどうかはっきりしないので、参加者は少ないらしいという情報
もあり、私はハシゴを外されたような気持ちだっが、私の場合もともとヨットに乗れ
なくても還暦旅行だし、オランダ観光が半分以上目的という不純な動機もあって初志
貫徹、しかも会社内では早くから休みを取ることを公言していた手前引っ込みがつか
ないという事情もあった。
      
家内が九州の友達が誰も行かなくて大丈夫ですかと心配したが、どうせ行く人はディ
ンギー乗りばかりだろうし、顔見知りでなくても気心は知れているはずと、まったく
不安はなかったし、これを機会に新しい友達ができるという期待の方が強かった。


  2:同行のメンバー

 というわけで、結局総勢12名のメンバーとなったわけだが、皆さんは私が期待した
とおりすばらしい個性の持ち主と、陽気な人達で楽しい旅行となった。

 ここでメンバーのプロフィール紹介。
☆まず団長の 新井明さんと奥さん。
 中大S30卒、貿易商社の社長。今回のきっかけとなった慶応、京大などのディン
ギー輸入等も仕事の一部。物静かな紳士。今回は奥さんも 同行。圧力釜持ち込みで
昼のおにぎり作ってもらったが本当においしかつた。またヨーロッパ全般について
知識豊富で家内がいろんなこと教えてもらい、以後の旅が楽しいものになった。



☆高田幸男さん
 中大S38卒、現中央ヨット部監督。レースの腕前は一流。今回のレースでも日本勢
最高の19位獲得。





☆山口紀子さん
 立教大S37卒、元ヨット協会会長小澤吉太郎氏の娘さん。かえるの子はなんとやら
で、さすがヨットにかける情熱はすばらしい。立教三人娘、いや三人おばさまのリー
ダー。


☆横山愛子さん
 立教大S38卒、愛称アイチャン。


☆飯塚美栄子さん
 立教大S39卒、愛称ミエチャン。


三人おばさま、それぞれ個性あり、ただヨットに
かける情熱は男勝り、敬服。
 尚、三人おばさまはレース終了後、3人だけで(ガイドなしで)ベニス観光。冒険
心と勇気も一流。

☆千葉智義さん
 新井さんの会社のヨーロッパ駐在員で、レース中通訳その他色々お世話になった。
独身。


 以上関東組、以下関西組。

☆林馨さん
 同志社大S29卒。熊野水軍頭目の末裔で、23代目とか。もと鰹一本釣り船乗り、
現在は奈良宗教団体の大幹部。その顔つきから熊野水軍の末裔説納得するが、顔付き
に似ず心やさいし気配りの人柄。




☆山上輝雄さん
 同志社大S29卒。電気屋さん、やんちゃ坊主をそのままま大人にした感じ。Do
you understand ? なんかDo you デンキスタンド ?でも同じことさ!と実際にデ
ンキスタンド ? とやって誰とでも仲良しになれる特技を持った 天真爛漫なおじさ
ん。ただちょっと早とちりの特技も合わせ持ち、帰りのスキポール空港での迷子事件
あり。




☆上殿隆一さん
 関西学院大S29卒。日本ドラゴンクラスレースチャンピオン。闘志を内に秘めた物
静かな紳士、大富豪。ハウステンボスに別荘所有、現在大型クルーザーを建造中。




☆野田治さん
 京大S36卒、0B会役員。語学堪能、社交家、ユーモア家。小柄だがすごいエネル
ギー、バイタリティの持ち主。今回のチームの実質幹事役。オランダ製ディンギー購
入。レーメリング会長他現地のひと達からの信頼絶大。Mr Noda! Mr Noda! とみ
んなから声がかかり、最後は我々日本チームの中でもミスターノーラとなった。




☆私 島井新一郎
 九大S35卒。とりたてて特技なし。英語出来なくてかなりの劣等感を味わった。
せいぜいTシャツ手づくりでなんとか内外の評価を得て面目保った。




                 (各位認識間違いの場合ご容赦ください)



<日本チーム オールメンバーとレイメリング会長他クラブ役員>
<後列左から 島井、新井、上殿、林、Mr.X,レイメリング会長、横山、野田>
<前列左から 飯塚、島井、山上、Mrs.X,山口、シュルク夫人、高田>


  3:シュルク造船所訪問と運河遊覧

 京大がディンギーを購入した造船所を訪問したいとの野田さんの希望で、翌日(5
月16日)時差ボケの完治しないまま、午後から運河添いの道をミニバスで30分走っ
て、シュルク(Schalk)造船所に着くとそこでは、シュルク夫妻とレイメリング会
長が愛想よく迎えてくれた。



<シュルク夫妻>
 ディンギーと30フィート位までの船を家族全員で作っていると思われる小さな造船
所。
もちろんディンギーの建造中もあったが、修理中のものがかなりあった。建造年は確
認できなかったが40-50年経過したもの等普通にあるように思えた。
我々が借りることになっている会長の艇は、彼のお祖父さんの代の建造と聞いた。
 一通り見学おわると、次に2杯のボートで運河遊覧でレース場であるカーグ(Ka
ag)湖へ行くとのこと。
会長とシュルクさんのボート(どちらも40フィート程度のボート)に分乗し、我々は
会長の方だったが夫人手作りの、鰯のマリーネのようなものを肴に、ビールだワイン
だと飲み放題のパーティをやりながらの一時間半の運河遊覧。
運河添いの民家では天気が良かったこともあり、庭にテーブルを出して家庭パーティ
等、至る所で繰り広げられておりお互い手を振りあっての挨拶など、のんびり運河遊
覧を楽しんだ。
運河から見る家並みは、民家であれレストランであれどこでも絵になるすばらしい眺
め、所々には牧場がありそこでは羊、牛がのんびり草を食んでいると言うのどかな風
景もあり、一同最高にご満悦。



<運河沿いの民家、どこでも船着き場がある>


    4:借用した艇のこと

 5月17-19日の3日間、聖霊降臨祭のヨーレンクラブ(Jollen Club)ディンギー
レースがカーグ(KAAG)湖(アムステルダム西南50キロ)で行なわれた。
我々が参加するということで、レース名に"Inter National Friendship Regatta"
が事前に追加され、我々を歓迎する気配りがなされていた。




  借用した艇は一杯はレイメリング会長のものだが、彼は娘さんとチームを組んでいた
が彼女がおめでたで、出場できなくなったので使ってくださいとのことであったが、
これは多分口実で我々のためにわさわざ自分は辞退して提供されたのだと思う。
             レースは微風ではあったがほとんどがシングルであり、よほどの風でなければクルー
は乗っていないというのが記録写真などで分かるので娘さんが出れなくても問題ない
はずだから。
もう一杯は若い人でどうして出られないという人のものということであった。

セールナンバーは会長のものが186、もう一杯が388であったが、どちらもかなりの
年代もの(40-50年以上)と思われるが、丁寧な手入れでニスはぴかぴか、水漏れも
ほとんどないという整備状況。彼らは、艇を家とか大事な家具と同じく、大切に財産
として使っていると聞いていたが実際に目のあたりにしてそのことを実感した。
それと同時に、その大切な財産を我々のために提供してくれた会長の好意をつくづく
思った。



私は、詳しくは聞いてはいないが想像するに、シュルク造船所と会長は仲がよく
(シュルク夫人はクラブの役員)慶応、京大などが新艇を購入しており、その関係者
が来るということで、まったく個人的な好意でクラブに働きかけ我々の参加を決めて
くれたのではないかと考えられる。

 しかし、いきさつはどうであれクラブメンバーの皆さんが、東洋からの珍客を心か
ら歓迎してくれているということをしみじみ感じる毎日だった。
  オランダ人は観光案内書でも人懐っこくおおらかで、親切と書かれているが、このク
ラブの人たちとの4日間の交遊でつくづくそのことを実感した。
  とくに最終日の19日などは、上位もほぼ決まり前日のパーティで親密さが増したこと
もあったが、日本チームには何杯でも貸してあげますから、シングルで出なさいとの
申し入れもあった。


5:レース状況

 さて実際のレースだが、お国が違えばやり方も違うもので、11時スタートとな
っていたので10時頃開会式はまだかなと、そわそわして待っているがいっこうにそん
な気配はなく30分くらい前にマイクでコースの説明があり、どうもそれが開会宣言に
相当するような雰囲気。あわてて艇を出すことになったが、そのころでも艇数はちら
ほら、ほんとに11時スタートかなと言う感じだった。

結局は全艇そろったところでスタートと言うことになったが、クラブの例会と言うこ
ともあるかもしれないが、のんびりしたのもで、日本のスタート前の殺気だった雰囲
気などまるでなし。
日本チームはまずレディファーストと先輩に敬意と言うことで、388艇に山口、横山
組、186艇に林、山上組と言うこととなる。残りメンバーは会長が準備した観覧艇で
観戦と言うことになった。


  
  <第一レース、41杯のスタート>
          
私はとにかく41杯ものディンギーレース見たことないので、いい写真が撮れるものと
意気込んで乗り込んだが、結果は微風とたまたまマーク回航時など逆光となり(私の
バカちょんカメラは逆光では全く役立たず)、期待はずれとなった。
ところで第一レースは、当日は快晴2-3mの微風と言うこともあったが、雰囲気わか
らずスタートから二艇とも出遅れブービー争い、観覧艇からはよく観察できるポジ
ションにいてくれたが、写真撮影に良い場面なくまったく面白くない。
                 
レース結果は32位 34位とあわれなものだったが、観覧艇の他の連中はあれは最初
で要領分からぬため、自分ならせめて10位くらいは、と密かに思ったのではないか。
ところが、三日間終わってみると、結果はみな第一レースとどっこいどっこいであり
艇の性能のこともあったかも知れないが、こちらのひと達とはちょっとレベルが違う
ということ実感させられた。
考えてみれば当然のことで、こちらの人たちは精魂込めて整備し何十年と慣れ親しん
だ自分の艇に、シングルで乗りしかも風の状況も知り尽くしたKaag湖、われわれは
はじめての場所で、借り物のはじめての艇であり、こちらのひと並みに走れる訳がな
いと。 
    しかも風がせめて5-6mでもあればと言うのが日本のみんなの気持ちか。

午後から第二レース、186に野田、島井組、388に高田、横山組と出場。午前中と風
変わらず。慎重にスタートタイミングを計りほぼトップに近いポジションでスタート
・・・と思いきや、高らかにピピピと笛の音、なんとゼネラルリコール。残念至極。




   <第2レース、186 野田・島井組、388 高田・横山組、トップスタート>

スタートやり直しも後も好調に日本チームほぼ1-2位のポジション、第一マークでは
若干落ちたもののかなりの上位で回航、観覧艇の会長もご機嫌で Go! Go! と大声援、
我々もいい気になって手を振る余裕あり。

ところが走るうちにだんだん馬脚現し、388はまあまあだったが第三マーク回航で
186は大集団の団子回航に巻き込まれ、Take me water !など叫べどニッチモサッチ
もいかない大トラブル。
おかげで一挙に上位から脱落、結果は惨憺たるものとなった。順位186が23位、388
は19位。
 
   しかし、高田組のこの19位が三日間の日本チームの最高順位だった。
以後少々がんばっても上位は不可能と認識、レースを楽しむ方針に変更した次第。
一方よく見ていると、走る人は走るもので常に上位にいることが分かる。いつでも
トップグループにいるセールナンバーをスタートからマークしついて行くことにした
が、所詮こちらが走らねばマークしても同じことという結果が多かった。



<クラブハウス遠景>

 第二日目、小雨、風弱し。日本出発前にオランダは寒いことも雨のこともありとの
情報で、防寒、防雨対策の衣装しこたま持ち込んだ面々、やっとこれらの衣装出番と
なった。
第三レースもふるわず日本チーム、25、28位。

第四レース186艇に上殿、島井組として出場。風が変わって沖のスタートだったがク
ルー(島井)のアドバイスよく上位でスタート、風も若干吹き出したのでしめしめ、こ
れなら何とか半分以上くらい・・・と、ほくそ笑んでいるとピピピ・・・あーまたゼ
ネラルリコールか、オランダの人はスタートへたくそだな!てなことでジャイブして
戻りはじめた・・・・ところが、スタートライン後方の観覧艇に乗っていた野田さん
から、「リコールじゃないぞ走れ!走れ!」の大声、あっ!と思ったが後の祭り、近
くにこれも勘違いしてスピードダウンしていた、山口、飯塚組も「どうして?! 
どうして?!」。

悲しいかな日本チームどん尻から、やっこら、やっこらの出直しスタート。
リコールには間違いないのだが、リコールした艇の数だけ笛が鳴ったと言うことらし
い。しかし、私には昨日の第二レースのゼネラルリコールと全く同じに聞こた・・・
言葉分からないと言うことはこういうことか。
このレース日本チーム、名誉のBB,BMでゴール。
    ただし、このレース中だけやや風強し、クルーとして久しぶりにヒール殺しの肉体労
働の快感を経験した。

カーグ湖で気持ちのいい帆走したのは、3日間でこの時のつかの間だけだった。
最終日186艇、島井、上殿組として出場、今日も沖スタート、晴天、風弱し。
スタートタイミングだけは数度の経験で何とか取れるようになった。こちらではス
タートライン付近でのシバー待ちなどルール違反らしく誰もやらない、しかもジャス
トスタートに はあまりこだわっておらず、後で挽回すればよいさと、言う人が多いの
か?
しかし、うまい人はやはりスタートも上位で出ているようにみえる。
このレーススタート、本船ぎりぎりの好位置で間違いなくトップ集団にある、しめし
め・・・ところがまたまたピピピ・・・、しかし過去の経験から動じることなく走り
続ける。結果やはり数艇のリコール、ジャパン高田組もリコールだったとのこと。




<べた凪のレース、レース見物の遊覧船>

途中風だんだん弱まり、全く面白くない。しかもよそを見ているとあちこちですいす
い走っているのもあれば、全く止まっているのもあり。同じ方向向いていてスター
ボー、ポートごちゃごちゃと言うことも再三。
     結論として、よそにこだわらず初志貫徹で自分のコースを守り風を待つというのが、
このカーグ湖のテクニックと後から理解した。
しかし、レース中にあっては、よその芝はきれいに見えるで・・・あっちにいったり
こっちに行ったりしているうちにずるずる後退、結果33位のゴール。
    結果は芳しからずだが、レース中すれ違う艇ごとにHello ! Have a nice day! な
ど、一人前らしく声掛け合ったりでのんびり楽しいレースだった。
       最終レース、上殿、島井組で出場、途中べた凪でコース短縮、再レース もあったが結
果は変わらず。
尚、この最終日は野田さん、高田さんシングル出場しているが、セールナンバー未確
認で順位不明。

以上三日間七レースの結果、日本チーム388艇31位、186艇32位、と全くふるわな
かったがこれはやむを得ない結果か。条件としては琵琶湖によく似た条件であるの
に、琵琶湖勢のみなさんがお手上げの状態なので、私など当然問題外の外。
尚、当初41杯のレースと聞いていたが、実際に走ったのは36杯程度で36位というの
はBMのことである。



  <186艇、林・山上組トップ回航?(実はトリック写真)>

結果はお恥ずかしい限りだが、私としては借り物の艇に初めての場所で、初めて乗っ
て全く少しでも艇を傷つけることもなく、そのほかにも事故なく終えられたことが最
高にうれしく、満足感に浸ることが出来た。

 これは後日談だが、今回の日本チームはクラブの人たちにかなり良い印象を与えた
ようだが、その原因のひとつは日本人が艇を丁重に扱ったからだということを聞い
た。



  
   <レース場は各種の大型ヨットが行き交う> 


     6:レセプションなどの交歓

第二日目の5月18日レース終了後、交歓レセプションがあった。又、それに先立ち新
艇を建造した人の披露セレモニーがあったが、我々はこれにも参加したわけだが、こ
のセレモニーを見ていてみなさんが本当に艇を大事にし、その船での楽しみ方に心を
砕いているいることを実感した。日本で言えば、家一軒新築した時の披露の感じであ
り、まず会長が挨拶し参集したクラブ全員(我々も含め)がその家族を祝福し、シャ
ンペンで乾杯した。
こうして作られた艇であればこそ、二代三代に亘って大事な財産として引き継いでい
くこちらの人々の愛着心が理解できた。

 レセプションはクラブの食堂で行われたが、レース参加者とその家族と言うことで
我々も含め約150名ほどのパーティだった。まず会長の挨拶があり、その内容は勿論
理解できなかったが我々のことにかなり時間を割かれていたのは理解できた。その中
で彼が我々の方に向かって "Prease comeback again "と言ったところだけは私に
も理解できた。

 日本チームの挨拶は野田さんがやったが、英語は勿論、オランダ語でもしゃべり彼
の才能と度胸には再三ながら敬服。

その後、われわれが持参したプレゼントがそれぞれ紹介されたが、私の場合は今回の
レース名等をプリントしたTシャツ30枚だったが、正直言ってこれほど喜んでもらう
とは夢にも思わないほどの人気だった。
      レース初日には会長にお土産として特別に二枚プレゼントしたが、会長は即座に試着
しレース中も着てくれていたので、皆さんはには一応知れ渡っていたが、このレセプ
ションで三〇枚配ってしまった後、しばらくして会長からどうしても欲しいという人
がいるのであと二枚なんとかならないだろうかとの、追加要望には大いに困った。




  <琵琶湖周航歌を合唱、Tシャツを貰ってご機嫌のお二人>
 
たまたま日本チーム女性三名には若干のプリントミスのあるもの三枚を渡していたの
で、これを思い出しそのうち二枚返却してもらって要望に応えたという次第。
Tシャツの他では関西グループの扇子なども好評。

ところでこのTシャツ作るに至ったのは、出発前5月2日突然中央の高田さんから安松
さんを通じてTシャツできないだろうかとの要望。
              実は当初私もそのことを考えて構想は持っていたが、果たしてこんな素人の手作りで
受け入れてもらえるか不安あったので全く手を着けずにいたのだが、高田さんの話で
それならと早速大車輪で30枚生産に取り組んだ。

一応作って、高田さんと、野田さんにサンプル送ったところ、野田さんからオランダ
国旗と日本国旗を入れたらどうですかとの提案。面白そうなのでと簡単に引き受けた
が、それからが大変。
   そもそもオランダ国旗がどんなものか分からず急遽世界地図を買ってきて見ると、一
応分かるが観光案内のオランダ国旗とは三色のうち青色が全然違うではないか。
少なくとも国旗の色がおかしければ国際問題にもなりかねないと、野田さんに問い合
わせると、それじゃ大使館に聞きましょうとのことで聞いてはもらったが、いざプリ
ントするとなるとやはり自信がない。
        
そこでインターネットで探すことを思い付きあちこちアクセスするがなかなか見つか
らない、出発三日前でもまだ見つからない。とうとう私は国旗プリントはあきらめそ
れを除いたデザインで30枚作り上げ後は、もしインターネットで見つかれば後からプ
リントするつもりで、あちこちアクセスするうち、ついに見つけた!出発二日前の夕
方、それからは全てを放り出してこのオランダ国旗をパソコンに取りこみプリント、
とうとう出発前夜になってやっと完成、と言う次第だった。

これだけ苦労したものだけあってみなさんに喜んでもらって私としても大満足に浸れ
た次第である。

(ところで、このTシャツ後日談があり6月中旬野田さんからメールが入りレイメー
リング会長から、8月のA級オランダ選手権参加者全員90名分のTシャツ作ってくれ
ないかとの問い合わせ来ているとのこと、私としては驚くやらうれしいやら、それほ
どまで評価して頂いてと大感激で、早速OKの返事を出した次第だった。
来年のこともありこんなことで日蘭親善のお役に立てればお安いご用との気持ちから
である。)

  尚レセプション後半は、余興となり日本チームは全員で琵琶湖周航歌を歌った。
7時頃から始まったパーティ・・・外が明るいこともあり、いつ果てるやら、我々は毎日の              
ことでもありかなりへばり気味。こちらでは夜10時半までは十分明るいこともありこ
のままでは、明日までも帰れないのではないかのと危惧から10時過ぎに解放頂くこと
として帰ることにしたが、パーティは何時まで続いたことやら。
     オランダ人はこういうことでは時間の観念全くなし。日が暮れたら帰ろうか、の感覚
か?我々がホテルへ帰り着いたのは11時半を回っていた。 
        
 しかし、パーティで我々に対する親密感一段と強まった感じで、翌日の朝出掛ける
といろんな人が近寄ってきて、交歓盛んとなった。
交歓と言えばSchalk造船所の奥さんは、年は私と同じ60才とのことだが美人で、愛
想よく、社交家だ。オランダ語日本語のローマ字対応の本を持ってきて、全く英語の
できない私の家内などにも気軽に話しかけてくれる。





参加者の大部分はボートで来ておりレース中はそのボートでの寝泊まりの生活。
是非私のボートにコーヒーのみにいらっしゃいとのお誘いも多く応対も大変。レース
プログラムに写真がプリントされているご夫妻のところにもコーヒーご馳走なりに
いった。




<このご夫妻は前年度チャンピオンでもある。>

いずれにしろ、みなさんレース期間中は連休と言うこともあったがボート生活堪能し
ている優雅な生活。

  

7:閉会式

 レース終了後、二時すぎから表彰式があったが、まず最初に子供達に我々が持参し
たおもちゃなどのプレゼントを会長が紹介しながら渡す場面あり、もらった子供がう
れしそうに握手に来てくれたり和やかなものだ。
   優勝者の表彰などは型通りだが最高齢者表彰のようなものもあり、このおじいちゃん
あとで又出会うことになっった。





<優勝者スピーチ、最高齢者?(1920年生まれのおじいちゃん)表彰>

閉会式でも会長から又いらっしゃいとの発言あっったがいつもこんな風とは思わない
でくれとのことだった。写真で見ると確かにかなりの強風レースもあり、Kaag湖の
風は何とかの心と秋の空・・・と言うところか。

 こうしてレースと日蘭親善の3日間は無事終了した。帰りのタクシーが来る場所と
クラブハウスの間にある30mほどの運河を渡る場所があるが、ここには我々が矢切り
の渡しと呼ぶ0.5ギルダ(30円)の船賃の渡しがあるのだか、そこで待っているとき
例のおじいちゃんが、マツダのライトバンで引いている簡易トレーラーに、湖から艇
を一人で引き上げようとしていたので、たまたま居合わせた高田さんと手伝った。
彼が言うにはこの艇は1938年、自分は1920年とのこと。
この三日間狭いライトバンの中で寝泊まりし、シャワーや、食事はクラブですませ
レースに参加したとのこと。大型ボートで来る人もあればこんな年寄りが、こんな小
さな車で・・・
と思うが、ヨットを楽しむのは皆同じ、本当にここの人たちはヨットを楽しんでいる
のだなと言うこと、このおじいちゃんとの交歓で又認識した。




  <マツダライトバンのおじいちゃん。子供達との交歓も忙しい。>


     8:さわやかな街並

 3日間のレースの前後五泊を、リッセ(アムステルダム西南50km)のホテルに滞
在したが、このリッセの街のきれいさ、のどかさは誰かが言ったが、憎らしいほどの
ものでその風景はどこでもがそのまま絵になる。
  ここはチューリップの球根で財をなした人たちが多く住んでいると聞いたが、本当に
きれいな街並みだ。

一戸建ての家は必ず前に20坪ほどの庭があり、チューリップやその他のきれいな花、
庭木がちゃんと手入されており、本当に写真撮りだしたら一軒一軒全部撮りたいとい
う気になる。庭のないアパート形式の住宅では、窓のカーテンの真ん中を開けてけて
内部が見えるようにしてあるので、中を覗くと応接セットがあり時にはお年寄りが
ゆったりとコーヒーを飲んでいたりして、覗くとにっこりと手を振ってくれる。
要するに一戸建であり、アパート形式であれ通行人にいかにきれいに見せるかに心を
配っていると言う感じで、洗濯物が干してある風景などついぞお目にかからなかっ
た。
要するに街全体がハウステンボスといえばわかりが早い。



  <どこでもがハウステンボス?>

 こうした街の美しさとともに、オランダ人の人懐っこさはさわやかだ。道ですれ違
う人は雑踏でないかぎりお互いにこやかに hello!とか good morning!とかならず挨
拶する。もちろん外国人である我々にたいしても。
日本でも登山者はすれ違うときお互い挨拶するのは山のエチケットとして定着してい
るが、ここでは街でそれが当たり前のことになっている。
   生活にゆとりあるからそうなのか、風土がそうさせるるのか、いずれにしろ、他人
に対する気配りにあふれた生活習慣だ。

 また、そののどかさも日本には無いものだ。たまたま聖霊降臨祭の連休中というこ
ともあったが、昼間でも街には人影ほとんどなし。開いている店はレストランだけ、
住宅街で子供だけが遊んでいる、一見まさに真昼のゴーストタウンだ。人々は家のな
かでのんびり家族団欒かヨットレースといった感じ。日本で言えば正月元旦の午前中
の感じ。


  9:観光旅行

さて、20日以降関西組四名と一緒に小池さんというオランダ在住の奥さんガイドさ
んにお願いして、観光旅行に出かけたが長くなるので簡単に記すこととする。



<小池さん>
 まずキューケンコフ公園、有名なチューリップ公園。ひさしぶりに我々以外の日本
人に出会う。リッセの街ではとんと東洋人にはお目にかからなかった。
次に風車の街ザーンセ・スカンス公園、今や風車は観光資源であり実用には使われ
てはいない。しかし、風車をみてやはりオランダは風車の似合う国だとつくづく思
う。



<ザンセ・スカンス公園、キューケンコフ公園>

翌21日はホールン港から帆船をチャーターして、アイゼル湖クルージング。
             マザーグースという約50フィートの帆船に6名(ガイド入れると8名)での借り切り。
定員20名とのことで贅沢なクルージング、それでも経費は一日貸し切り、中食つき
、飲み放題で一人あたり15,000円也。 
  
 船長の奥さんまで入れて三名の乗組員なので、セールアップの時など遠慮なくこき
使われが、我々も又それが楽しい。操舵もどんどんやらせてくれる、もっとも行き交
う船などほとんどないのだから目をつぶっていても帆走できるが。また、帆走と言っ
てもキールがない船なのでせいぜいアビーム程度しか上れないがそれでも、エンジン
音なく帆走しているときはいい気分だ。
夕方からは雨になり風も強まったが快適な一日クルージングを楽しんだ。途中立ち
寄った港の街並みもきれいだった。



<アイゼル湖クルージング、にわか操舵士>

観光第三日目、アムステルダムの海洋博物館見学。
帆船博物館と言った方がわかりやすいほど、要するにオランダの帆船の歴史が全て分
かるところ、帆船模型から、帆船の絵画があふれている。これを見てオランダという
国が、又人々がいかに運河と、海と帆船とにはるか昔からかかわってきたかと言うこ
とをつくづく認識した。

日本も海洋国と言われることもあるが全然桁が違う
  日本は確かに海に囲まれてはいるが、その歴史はこの列島の中での争いなりの歴史で
あるが、オランダは運河を造り、そこにつながった海へ出ての外国との争い、貿易で
あり、内外の活動の大部分に帆船が関係してきた。
  従って、今でもオランダ人の心のふるさとは、運河でありそこを駆けめぐる帆船なの
かもしれない。

そう考えれば彼らがヨットを愛し、親しみそれを生活の一部として今も大切に守り続
けていることがよく理解できる。
たまたま我々はその帆船の、原点とも言うべきA級ディンギーを愛する人たちと接触
したが、この博物館をみていると、それ以外のヨットについてもたくさんの楽しみを
この国はもつているのだなと言うことをしみじみ感じた。

ディンギーがよく走るはずだ、我々のレースが終わった後毎日三時頃から10杯程度の
ジュニアレースが行われていた。ジュニアと言ってもせいぜい10才から15才くらい
までの子供達のレースだが陸から見ていてもスタートなど立派なものだ。我々はせい
ぜい高校か大学からヨットをはじめる訳だか、彼らはこうして、子供のときから始め
て何十年と乗っているのだ。

その夜はオランダ最終日でもあって最後の晩餐と言うことでオテローと言う町でイ
ントネシア料理にしたがこれは最高に良かった。
 オランダは歴史的にインドネシアとの関係が深い。
その後聞いた話だが、オランダ人はシーボルトが日本に来た15-6世紀ごろは、そん
なに大きくなかったという事で、インドネシアとの関係ができて、インドネシア料理
を食べるようになって、大男の国になったという説があるらしいが、さもありなんと
いう気がする。

5月23日帰国日の午前中、クローラーミューラー美術館に行ったがここにはゴッホ
の絵がかなりあるが、ここはサファリパークの中にある美術館という事で、緑の新緑
が最高にきれいな時期だった。
 ゴッホの絵でおもしろいのは、有名な向日葵の画材となったひまわりの成れの果て
(枯れる寸前の絵)もあった。



<アムステルダム市内、関西・九州わいわい観光団>


      10:帰国

 5月23日15時(オランダ時間)スキポール空港発ジャンボ機は来るときとは逆に、
時間を追い越しての飛行だったが、シベリヤ上空ということで今度は白夜の12時間飛
行。
しかし、来るときとは異なり全員睡眠不足と疲労の蓄積でぐっすりお眠りの一二時間
であった。

 かくして、5月24日(日本時間)朝10時無事関西空港に着陸し10日間のオランダ
旅行無事終了した。
関空で驚いたことには、到着ロビーに十人近くのお出迎えが見えていることだった。
同志社OB鯨会の皆さんだとのことで、林さんはじめ関西組の威力見せ付けられた次
第。
振り返ってみるに、私にとってはじめてのヨーロッパ、はじめてのオランダ旅行だっ
たが、レースが行われたカーグ湖の風、五日間滞在したリッセの町、そしてその後の
帆船クルージングを楽しんだアイゼル湖の風、チューリップ公園、風車公園、最後の
アムステルダムまでを含めて吹いていた風の色は、オランダ三色国旗の色の一つであ
るさわやかなライトブルーだった。

         そしてなによりも、Pim Reimering会長、Schalk夫人その他 JOLLEN CLUB のメ
ンバーの人たち、その後の観光旅行で交歓した人たちの心の中を吹いていたのもさわ
やかなライトブルーの風だったと私には思える。

                    完

              (1997年6月記)

     

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